感じて生きる

2025年は混乱の嵐からの覚悟と意識変容!~ジャッジを手放し次元を超える~

早くも2025年1月が過ぎて立春を向かえていますが、皆様お正月はいかがでしたか?
色々あって遅ればせながら…ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
私は…というと空亡の2年目であり、今年は何か「厄」ではなく「役」が降りるかも…?という漠然とした予感の中、正月帰省した実家から戻った日に早速課題が与えられました。

 
母の体調不良からの介護です。
 

思えば昨年も1月に母の股関節痛で歩行が厳しくなった母の長期介護を余儀なくされ、帰省をした際にもつれを解くべく家族の意識変容に至ったことを思い出しました。今年もこのパターンが繰り返されてる。まだ何か自分に対して回収するものが残っているのだと感じ、再び母の介護の為に実家へ戻りました。まぁ、年齢も年齢ですから…。
 
 
戻ってみるとひどい状態。
熱も上がって固形物は当然ながら何も食べられず、病院へ行くのも拒み続け、寝ていれば治ると栄養剤とヤクルトと市販の風邪薬でなんとか生きていた母。自分の信じてきたものしか口にしない頑固者。
そして月が満月へと満ちていく過程で更に心を閉ざし、思考が壊れていく母でした。
 
   
目が合うだけで牙を剥き、被害者意識の中で溜まった怒りや悲しみで文句を言い放ち、自分で買ったものすらも私に相談もなく買ってきた!!!と怒りまくる。隣の部屋で寝ていた私を夜中に叩き起こし「殺される!!!」としがみついてきたり、時にはマッチで火をつけてこの家ごと終わらせると言っては家族をヒヤヒヤさせたり…。
お正月はあんなに優しかった母の突然の変貌にショックと悲しさと人が壊れていく恐怖感が一気にこみあげ、母に声をかけることすら緊張し、一晩中眠れなかった日々が続きました。

 
この現実は私が創っているとしたならば…
多世界解釈があるとするならば…

ふと氣づけば完全にこの現実の渦中に入り込み、大きく心を揺さぶられている自分がいると認知したのと同時に、今この現実は必然的に起こっていて何かに氣づかせるために用意された機会だと腹落ちしている自分がいました。これまでの潜在意識や量子力学的な実験と探求をしてきた中での認識でした。「この現実は私が創り出している」としたならば、そして多世界解釈があるとしたならば、もう同じ次元で物事を解釈してみても解決はできないと理解していたので、まずは今、自分が抱いている感情(恐怖・悲しみ・怒り・無力感)をメタ認識し、素直に受け入れ、ジャーナリングで映し出されている現実は私の中の何が映像化しているのかということをジャッジを超えた視座で内観をしていきました。また母の介護日記も兼ねて、日々の記録と自分の内側での動きと認識を把握できるよう日々記録を続けました。

ジャーナリングノートには、事実と解釈を分けて記載し、解釈で湧く感情と高い視座での解釈を見出だしていくことに加え、この状況に問題視していること、何の為にここに来たのか、過剰に期待していること、その根底には何があるのか等も記載していきました。

内観してみて認知できたことは、母や家族への決めつけジャッジがまだ私の中に残っていたこと、古い思考パターンと私のインナーチャイルドがまだ怒りや悲しみを抱えていたことなどが出てきました。そんな自分を受け入れ許してなかったのです。
また兄に対しても私目線で勝手な決めつけがあり、介護の合間に兄と深く語り合う中でいろんな誤解や勝手なフィルターが外れていきました。物心ついた幼い頃から一緒にいて観て感じたことを幼い私が勝手に仮のキャスティング設定をして、見直す機会がないままいたのだとにやっと氣づくことができました。また何気ない会話の中で、ふと放った私の言葉が兄の遠い時代に生きた記憶を呼び覚まし、兄に重く伸し掛かっていたエネルギーが解放されて軽くなっていったことがありました。母においては朝方変性意識の朦朧とした中で母が自分の因縁について解き放つ場面もあり、今回の私の役目のひとつだったのかもしれないと感じている私がいました。
  

現実創造というのは今ある問題を回避したり、現実を変えたりする解決法ではなく、問題を問題としている自分を認め、許し、回収していくことにあるのだと氣づきました。
これまで色んなことを受け入れ、認め、許してきたけれど、必要なときに必要なタイミングで出てきては意識変容を起こし、次の扉へと導かれていくのでしょうね。そのタイミングも既に采配されているように思います。
  
   

認知ができたら次は頭を空にする

介護帰省中、突然急に思い出したことがありました。昨年10月に久高島で観音舞の家元がお話してくれたことです。最初にアマノマイの象を降ろした際に”くしゃみ”をするように身体がそのように動いていたと。思考を挟まず、力も入れず、体が勝手に動くことこそがある意味ナチュラルコーリングなのだと私は理解しました。こうやって必要なときに必要な記憶を思い出させてくれるのも私の内側と繋がっていたからこそ。もう頭で考えるのを手放し、体がしたいと動く方へ行動していくのみです。これまでの感謝と許しを胸に私が母にできることをしていきました。母の食べたいものを素材から作り、一緒に食べ、長年掃除できていなかった部屋やベッド周りを掃除したり、母の好きな歌を一緒に歌ったり…。そこにはもう回復への懇願や延命への執着や念のようなものは一切なく、「空」というニュートラルな意識の中で「したいことが出来ている!」という私の喜びすら見出していました。  

   
1/7~24日まで、自宅に帰れたのが1日のみ。日を追うごとに徐々に母の表情のこわばりと幻覚はなくなり、食欲も出てきて少し可愛らしく笑うようになりました。相変わらずベッドとトイレを行き来するだけの状態ですが、自分で着替えもでき、雨戸を自力で開閉でき、少しずつ少しずつ回復に向かっている気がします。まだまだ介護も必要ですが、兄夫婦も私も協力しながらできることをし、そして母へは少しだけ自分で考えチャレンジする時間を与えています。
拒み続けていた地域の介護保険の申請も本人の了解を得て申請ができ、あとは審査を待つだけ。そんな現在地です。

この期間、私の夫は一人暮らし状態でそれでも何も文句も言わず、見守ってくれたことに感謝しかありません。


蟹座満月と天体の位置関係も大きく影響

母の壊れゆく心と体の変化が今回の満月と天体の位置関係に影響を受けていたと後日知ることになり、人ってこんなにも宇宙のエネルギーを受けて生きているんだと実感しました。
占星術のKeikoさんの記事を時々読ませてもらっていますが、この記事の流れと私達の出来事がまんま映し出されていることに驚くばかりでした。

以下占星術keikoさんの記事より抜粋
https://www.ks-selection.com/blog/new_fullmoon/cancerfullmoon20250114/

1/14蟹座満月は人間関係を円満で幸せなものへと導いてくれ、特に家族等の近しい間柄の関係を更に深めてくれる満月となります。しかし月に寄り添う形で火星が位置していたこと、破壊と再生の冥王星が太陽の位置に配置していたことで、争い事や緊張、トラブルを引き起こしそうな配置になっています。

しかし、第二ハウスの海王星が緊張を和らげる役目を担ってくれており、争い事がトラブルが生じた場合でも最終的には円満な解決へと進めてくれるエネルギーが働いてくれるようです。
更に蟹座が第4ハウスに位置する木星の影響で「雨降って地固まる」という言葉のように結果的には信頼関係が生まれ、調和の取れた人間関係へと変わっていくことでしょう。

今回の蟹座満月では、太陽・冥王星、月・火星に加え、海王星と天王星が「天使の羽根」と呼ばれるアスペクトを形成しています。この配置は、ひとつの行動が次々と幸運な結果を引き寄せる宇宙からの強力なサポートを意味しています。特に身近な人間関係を円滑にすることで、新たな幸福を次々と手に入れるチャンスが訪れるでしょう。

また、この満月は第7ハウスの起点であるDC近くに位置しながらも、「習慣」を意味する第6ハウスにあります。そのため、住環境の整理整頓や食生活、ルーティンの見直しといった行動がラッキーアクションになります。

とのこと!


私達家族のホロスコープを調べてみても一目瞭然!
母は破壊と再生の冥王星が蟹座に位置している。兄と義姉の太陽星座と社会的に目指す到達点MCが蟹座。私のACSが蟹座。大事なところが家族や家庭を意味する蟹座ファミリー。
こういうタイミングで必然的に心が向くように用意されたシナリオだったんじゃないかってなんだか思ってしまいますよね。これをきっかけに我が実家は更に深く繋がれたし、母の住環境も色々整理整頓のほか、長年できなくなったか所の片付けやお掃除もできました。私の自宅も実は留守をしていた間に夫が断捨離をしてかなり片付いた状態になっていました。星読み通りに動けていた我が家と実家、これは新たな幸運の展開が楽しみになりますね!私達人も植物と同じ自然の一部。天体の影響を受けながら、もう導かれるように生かされているということが腑に落ちた瞬間でもありました。

   

陰陽のコントラストがあるからギフトになる
  
小さな頃に家族と周りに私目線の勝手な仮設定をして、そのフィルターで長年ジャッジをし続けてきたことは実は間違いではなく、その時間が必要だったとも感じています。この話は由佐美加子さんのメンタルモデルにも通じていますが、このフィルターレンズがあったからこそ、何かを得て私という象が出来上がり、こうしてこのタイミングで大きな氣づきと氷が解けてエネルギーの循環を感じられる醍醐味、そして何となくのステージアップ感!私はこれまでこうやってひとつ氣づきがある度に身体が柔らかくなっていくのを実感しています。
人生の長期に渡るもの、今回のような突然起こるヒーリングクライシスは陰陽のコントラストがそこにあるからこそのギフト。母という偉大な存在は命を使って私達兄妹に大切なことや目覚めを促してくれた…もう感謝しかないですね。大きな愛をいただきました。


全てはあるがまま、自然の営みのサイクルの中で私たちは生かされている。母も私達も。老いて枯れていくことも自然、そういう時がきているということ。そしてこれは私が体験する必要と何かに氣づく必要があって起きている。起きていることに良いも悪いも正しいも間違いもなく、ただ私達が都合で良し悪しを決めているだけなのだと。解釈次第で未来の道が変わっていくのがこの世界のシステムだとすれば、渦中に入らず高い視座で外側に何が起こっているのかを見極める術を身につける必要がありますね。私の場合それがジャーナリングになります。

まだまだ介護は少し続くと思いますが、心がしっくりくること、体が動く方向へ、私も行ったり来たりを楽しみます。

 

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